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Nothing on my mind

なんだかごちゃごちゃ話したくなったことを

『食器と食パンとペン 私の好きな短歌』安福望

日記 ほん

 

近現代詩と短歌が好きだ。

仕事帰り、最寄りの駅ビルの本屋に寄って、詩歌の棚でぱらぱらとあてもなく出会いを求めるのが好きだ。ナントカ派とかどこの短歌結社だとかそういうことは分からないので、拙い直感が頼りになる。
(ただでさえ詩歌の棚はささやかなスペースしか与えられないものなので、小中規模の駅ビル本屋ともなるとなおさらである。よっていつも収穫は少ないが、それでいい。)
 
今日は仕事でもやもやすることのあった日だったので、なんとなく足が向いた。気になっていた歌集をぱらぱらと眺める。詩歌の棚がある通りはたいていいつも人気がない。そういうところも実によろしいと思う。
 
なので、隣に立った女性二人組から突然声をかけられたのには仰天した。「すみません、普段からこういう本を読まれますか?」。聞けば、友人に贈り物をしたいからおすすめがあれば教えてほしい、とのことだった。とても素敵な話だ、だけど本に没頭してノーガードだったわたしは、悲しいぐらいにうろたえてしまった。
 
詩のおすすめって恥ずかしくないか。難しくないか。詩っていうのは小説やエッセイと違って、なんというか、ものすごくパーソナルな部分に照らし合わせて好き嫌いの判断をするものな気がする。読んだときの境遇や気分によっても響き方が全く違う。
もっと言うと、見ず知らずの人から好きな詩について聞かれるということは、見ず知らずの人から幼少期の一番大切な思い出について語れと言われるような、お前の人生観や恋愛観について熱を込めて語れと言われるような、そんな気恥ずかしさと躊躇いがある。どうしよう、なんて答えれば。
(言うまでもないが、その女性は1ミリだってそんな面倒なことは考えていないに決まっているのに。)
 
「そういうものは個人の好みなのでなんとも…」と濁して逃げようとしたが、その女性二人組はわたしから情報を引き出す姿勢を解いてくれなかった。どうしよう、どうしよう、もうパニックである。絞り出すように「そのご友人は女性ですか」と尋ねて、「それならこれとかかわいくていいんじゃないでしょうか」と直前に見ていた本を手渡す。本心はどう思っていたかは知らないが、その女性たちの好感触そうな反応を見て、わたしはさよならも言わずに猛スピードでその場を去ってしまった。完全に挙動不審だ。
 
エスカレーターを降りながら、わたしは惨めで悲しい気持ちだった。とても感じのいい女性たちだった。友人に詩の本を贈るなんて素敵だ。せっかく声をかけてくれたのだから、詩歌が好きだと思うのなら、わたしのできる限りの協力をすべきだった。それなのに、いかにも話しかけられて迷惑そうな(そう思われても仕方がないような)態度を取ってしまった。パニックになってぐるぐると頭を巡ったつまらないことを全て取り除いてしまえば、大好きなものについて聞かれて、単純に嬉しかったのに。
 
咄嗟のできごとに対して、適切に感情を表したり行動したりすること。わたしはどうしてたったこれだけのことができないんだろう。見ず知らずの人の何気ない問いかけに対してさえ、恥ずかしいとか、自分のおすすめがお気に召さなかったらどうしようとか、そうしたらなんとなく傷ついちゃうなとか、真っ先につまらないことを考えてしまうのだ。わたしのおすすめを聞いてくれたのだから、笑顔で素直に答えればいいだけなのに。大人になるにつれて人と付き合うのもそれなりにうまくなったと思っていたのに、こんな小さな出来事でみっともなくメッキが剥がれ、思春期の頃の醜い不器用さが露呈するようで辛かった。辛くて辛くて、涙の一粒も落ちたかもしれない。
夕飯に無駄に凝って気を紛らすしか手立てはなかった。
 
 
あのときの女性たちへ。贈り物を選ぶという素敵な折に、声をかけてもらえて嬉しかったです。気の利いたことが言えなくてすみませんでした。
苦し紛れに「これがいいんじゃないでしょうか」、と手渡した本は本当にいいと思っています。
あなたがたが気に入ったかは分かりませんが、わたしも後日、改めて手に入れようと思います。
 

 

食器と食パンとペン 私の好きな短歌

食器と食パンとペン 私の好きな短歌