Nothing on my mind

なんだかごちゃごちゃ話したくなったことを

日記 沖縄に行った話

みんなの顔を見るのが目的だから、滞在中はどうぞおかまいなく…と伝えてはいたけれど、それでも皆時間を作ってくれた。


ともに月曜が代休だった叔母と社会人のいとこ、授業がお休みの大学生のいとこ、祖父母、それから大叔父、一緒に滞在した母。突発的に決まったことだったのにこれだけ集まってくれたので、皆で連れ立って車で1時間くらいで行ける、橋続きの離島へ行った。田舎だからあまり面白いものがなくてごめんね、と言われたけれど、その島にある有名な製塩会社の施設の見学はとても面白く、短い見学コースを信じられないくらい時間をかけて歩いた。併設された商店では、塩やお菓子、塩を使った石鹸などをどっさり買ってもたせてくれ、恐縮してしまった。
さらに車を走らせて、隣の離島へ行く。ランチを取ったリゾートホテルのレストランは素晴らしい眺め…のはずが、天気が優れず、大きな窓の外には鈍い色の海が横たわっているだけだった。皆口々に残念がる。晴れていればとても綺麗な景色なのよ、と。皆で食事を取れるのが嬉しかったから景色なんてどうでもよかったけれど、その気持ちが素直にありがたいなと思った。

大叔父の手洗いを待つちょっとした時間に、大学生のいとこが戯れに祖父にサングラスをかけさせていた。わたしの祖父は白髪で、鼻が高く、なんとなく外国人のような風貌なので、それが信じられないほどに似合ってしまい、皆で手を叩いて笑った。まるで香港マフィアのドンのような怪しい風貌である。わたしやいとこたち、叔母のスマホで代わる代わる写真を撮った。もちろん集合写真も。今その写真を見返しても笑ってしまう。写真の中の皆もとても楽しそうに写っている。

祖父の癌はターミナルなものらしい。余命一年の告知を受けたのは、昨年の10月のことだった。手術ではなく薬による治療を始めてから、もう半年以上が経つ。肺に巣食った癌は、今のところ大きくも小さくもなっていないそうだ。

祖父は昔からとても落ち着いた人で、感情的になったところを見たことがない。そして、不思議なくらい周りに人の集まる人だった。部屋に貼ってあるホワイトボードには、常に予定がぎっしり詰まっているし、日頃からしょっちゅう来客を受けている。昔からPTAの会長だったり自治体の役員などを務めることが多かったそうだ。そういうタイプの人はもっとエネルギッシュでパワフルなイメージだったが、祖父は違う。立派な幹を持った静かな木のような人だと思う。
病気の話を聞いてから初めて会ったけれど、びっくりするくらい普段と変わらない様子で過ごしていた。告知を受けた時にも一切動揺することなく、ぽつりと「昔タバコを吸っていたからなぁ」と言っただけだったと聞いた。


祖父に会いに行く前日、わたしはカメラを持って行くかどうか悩んでしまった。昔飼っていた犬が死んでしまう前の数日を思い出したからである。ずっと元気だったのに急に倒れてしまい、息も絶え絶えに居間に横たわる姿を見たとき、「残さなければ」と咄嗟に思ったのだ。けれど、どうしてもカメラを向けることができなかった。愛犬がじきに死んでしまうだろうことを認め、生きながらえてほしいという望みを諦めてしまうようで、できなかった。
これが最後かもしれない。残しておかなければ。そう思ってしまうのは、それが終焉を迎えていることを認めているからだ。カメラなんて持って行って、祖父を目前にしたとき、あの時愛犬を前にして思ったことと同じ感情を抱いてしまったらどうしよう?わたしはまた諦めてしまうんだろうか?祖父が死に向かっていることを認めてしまうんだろうか?
その時は答えが出なかったけど、離島のリゾートホテルでサングラスをかけて、周りの反応に満足そうな祖父を囲んで撮った写真は完璧だった。微塵も切なくなかった。楽しくて楽しくて、純粋に撮りたいと思ったから撮った。余命のことなんて忘れていた。カメラを持って行ってよかったと、あとでしみじみ思った。今後どんなふうになったって、この写真を見れば、あの日感じた純粋な愉快な気持ちを思い出せるだろうから。

「今度はこっちに遊びに来て。箱根の温泉に行こう」
「あなたの結婚はいつになるの。出席するのをずっと待ってるのに」
「次は皆であそこへ行こうね」
日常会話には、さりげなく祈りの言葉が織り込まれている。さりげなく、少し未来を意識して、約束し、待つ。仰々しくならないように、悲壮な感じにならないように、注意を払って丁寧に設置していく。皆が口々に捧げる小さな祈りを見つけるたび、わたしは一つ一つ標本にするように胸に仕舞った。「愛は祈りだ。僕は祈る」という小説の一節のことを考えた。皆で祈る。わたしも祈る。愛しているから。
趣味の家庭菜園の手入れを一切怠ることもなく、来年収穫の野菜の苗を植える祖父。ランチビッフェで山のように食べ、「たくさん栄養を摂ったから元気になっちゃうな」ととぼける祖父。祖父もきっと、静かに祖父なりの祈りを捧げているのかもしれない。

東京に帰る日、玄関先で祖父に別れを告げるときも、泣かなかった。もうすぐ死ぬかもしれない人とはどうしても思えなかったから。つまらない理屈が邪魔をして泣きそうになったけど、それでも最後まで泣かなかった。
現実的にはまた会えるかどうかわからないけど、そのことを考えるのはもうやめる。会いに来てよかったな、という気持ちだけ持ち帰ることにした。

写真はよく撮れているものだけプリントして送ることにする。楽しかったね、また会おうね、と静かな祈りを込めて。